嘘つきの中で生きること
自分を含め、大なり小なり嘘をついているのが大多数だと思いますが、幸せに生きる近道は「自分に嘘をつかない」ことなわけで。
巷ではだいぶそういうことを言ってる思想が氾濫してますが、なんだか好き放題に生きるみたいな意味に捉えられてることも多そうです。
どちらにしても「自覚を持つ」のが大事で、自覚のないことは本心でも嘘でも非常に良くない。「考えていない」ことの証明になるから。
でも自分の本心て掴みづらい、いろんな価値観や雑音にかき消されて見えない。
でも周りからは一目瞭然だったり。
自分のことは見えない、とかいうけれど、そんなことはないんだ。
やれてることが本心で、やれないことが本心でないこと。
前の記事でも書いたけど、嘘の社交辞令は良くない状況をもたらすけれど、自覚している社交辞令は悪い結果にはならない。
この人とは深く関わりたくないけれど、いい距離感は保ちたいというのが社交辞令。
それを「人から嫌われたくない」という不安から使うと、最初の「深く関わりたくない」の部分にまで踏み込むことになって破綻する。
この場合は、「深く関わりたくない」を自覚するべきだったのに、「嫌われたくない」の不安が勝ってしまった不幸。
だから根本的な矛盾や無自覚は修正していかないと、不安はなくならず真の安定は保てず、どこにいっても自分一人では生きていけない感じがするわけです。
原因は自分にあって、他人じゃない。
嫌われたくないのは悪いことじゃないけど、嫌われるのも悪いことじゃない。
嫌われたくなかったら、自分も心から人に興味を持つこと。小手先のテクニックで表面だけ真似するから、破綻するんだ。
ああ、だから私も気がつかなかったのかな?ハウツー本は人を不幸にする副作用の強い悪書だね。