amanda's diary

私って何なんでしょうの日記

いらない社交辞令

この人、すごく私のことを見てくれている、という人がいた。

何かにつけて褒めてくれたり、細かいことに気がついていたり、わざわざこちらの発信したことを話題にしたり。

仲良くなりたいという信号に聞こえた。

 

でもまあ、本当のところは単なる社交辞令で。

なんかこちらが怖かったみたいというか、押さえどころの要注意人物と思われてたみたいです。

 

そうなんじゃないかと、ちょくちょく確かめてたんだけど、その度に違う、という態度だったもんで、じゃあこれでどうだ、とどんどんハードル上げていったら、ギブアップしたようで、いきなり無視された。

 

ここで無視って、非常に関係性悪くなるし、その前にうまくかわすチャンスはいくらでもあって、なぜここで?最悪のタイミングじゃん?しかも無視って超こども?

 

と、私は非常に混乱したわけですが、まあよくわからないけどそれは相手の問題。例えばできるだけすべての人間から嫌われたくないとか、人の頼みは断れないとか、そんな感じ?

 

そんなことやる人だと思っておらず、信用しちゃってアレコレ恥ずかしいなあとか、また人の本質に気づけなかったなあとかしばし落ち込みました。

 

わからないのはそこまでして嘘ついて辛くないわけなかろうに、ということ。

私はあんまり関わりたくない人と話したり関わる時間なんて1秒だって持ちたくないしそもそも我慢できない。

そこまでして我慢する場合ってものすごく自分にメリットがあるとかそれを越えたところになんか目標があるとかそのくらいの理由がないと無理。

 

だけど今回の関係性には、そこまでの強制力があったとは思えない。

だから余計によくわからない、わからない人のことは怖くなる。

 

多分だけど、その人が人を信用してないんだろう。

そして人と深く関係性を持てないでいる。

そこに悩みつつも、プライドが高くて自分を変えられず、尊大さと自信のなさが混在する矛盾の人となる。

そして限界まで自分に嘘をつくことが自分にも相手にもどれだけ良くない影響を与えるかということに無自覚だ。

これをやりすぎると、どんどん自分自身から遠ざかって自分を見失う。超怖い副作用。

 

あれ、だいたいの人はこんなもんか。

 

しかし関係性がうまく作れず、残念だった。

そもそも関わっちゃいけない相手・その2だったことに、薄々気がついてたけど確信が持てるまで信じきれなかった自分にも残念だ。

 

次はうまくやろう。

というのを生きている間、繰り返すのが進化するってことなんだろうな。