amanda's diary

私って何なんでしょうの日記

過活動なのか

いま、すごく動き回っている。

 

定時の仕事をしながら別の仕事もして、転職活動も並行して行いつつ、自宅の作業場を作りながら作業をし、新しい習い事を週2回行って、さらに外国語を自宅で勉強しようとしている。さらにダイエットも続行中。1キロ太ったけど。

そんなこんなでここ何ヶ月か週末も休んでいない。あ、病気で休んだりはしてる。

 

どうなんでしょう、やはりやりすぎかな。

でもあんまり負担感はないんだ。

なんでかって全部それなりに楽しいから。それと自分で選んだことだから。

 

書いてみてちょっとわかったのは、なんか風邪ひいたり体が弱くなったのかなあと思ってたけど、単純に動きすぎで免疫落ち気味なんじゃないかと思いました。

 

私には過活動の傾向があるので、無理しすぎないようにしないと、と思ってはいるんですが、集中すると止まらない。止まらないというか没頭する感じがたまらなく気持ちいいのです。スポーツで「ゾーンに入る」と言うけれど、あれは正にその感じじゃないか。

 

体力つけるためにも筋トレは続けよう。

忙しいけど、ボンヤリと眺める気持ちもある。この感じはいい感じなんだと思う。

 

 

人を裁くな

その人にも何か理由があるのかもしれない。

そしてそれは私には関係のないこと。

 

自分の正義を掲げ、裁く権利なんて誰にもないんだ。

 

戒めとして。

何かを買う時

物を買う時は「何かを(良い方向に)変化させたい時」だというような記事を読んだ。

 

ぎくっとした。

物を買ってたのは、そういうことだったのかと、今まで考えてた割にはわかっていなかったことに驚いた。

 

あんまり物を買わない人は、現状を肯定している、受け入れている人なんだろうなと思いました。

時間に遅れる

昔から遅刻癖がある。結構ひどい。

 

今でこそないが、学生時代は2時間遅れとかザラだった。もはや遅刻レベルじゃない。怒られても仕方ないのに友達付き合いを続けてくれた友達には感謝。

 

今もちょっと遅れる。5〜30分くらい。まずいと思うけどなおらないということは、なおす気がないと言える。

 

そういうとこから見ても、私はやっぱりちゃんとしてない人間だと思う。

 

なんで遅れるのか。

 

そもそも遅れても大したことだと思ってない。

予想より支度に時間がかかった。

どうしても目の前の作業をやり遂げることにこだわってしまう。

 

2番目の見積もりの甘さと3番目のこだわりが遅刻の大きな原因になっていそうな気がする。そもそもその時間内でできないことをやろうとしているんじゃないか。

 

時間を守ることは私にとってすごく大変なこと。足が遅い人が速く走ろうとして走れない感じ。

あと15分早く支度を始める、ということができないのは、15分早くすることより遅れることを優先しているということ。

 

そして見積もりの甘さとこだわりは遅刻以外のところでも同じように問題になっている気がする。

ということは私の本質的な傾向と言っていいのかもしれない。

 

 

自分に向かって書く

ここ最近、周りで起きている事ばかり書いていた。自分の現状確認の為の覚書のようなものだけど、自分で読み返してもなんか偉そうでムカつく。

 

なんでかって、毒みたいなものが入ってるから。イライラとか不満とか、ウンザリした気持ちとか、そういうのが出てる。

 

人間だから仕方ないけど、いい結果にはならないよね。疲れて余裕がないのもあるのかな。

 

そろそろ次の場所に移る時期にきたのかなあとも思う。だいたいいつも動く時ってそうだから。今まで笑ってられた場面が全然笑えなくなる。行きたくなくなる。自分が前と違ってきたということ。

 

ずっと続くことなんてない。

 

20歳くらいの時に、自分の人生が見えなくなって文字通り「お先真っ暗」だったことがある。

ある時、実感として、真っ黒い穴を見た。実際には見ていないんだけど、確実に実感として存在した。とてつもなく真っ黒で深く、何もない。

「虚無」ってこういうことなのか、と何故かその時思った。とても恐ろしかった。

だけどほら、今はそんな穴なんてない。ないというか、ある「本質」をあの時みたんじゃないのかなあと、今ふと思った。

 

本質はお化けみたいなものだから、と言った人がいたことも思い出した。

どういうことなんだろう、掴めそうで掴めない。

 

普通に暮らす

ご飯をちゃんと作ってたべるとか、充分寝るとか、掃除片付け、そんなことをできた日は充実感と幸せな感じが半端ない。

布団干せてる時はすごくいい感じで暮らせている。

 

こんな当たり前のことすらままならないなんて、優先順位が間違ってるか、やらなくていいことをやっているか。だろうなあ。

 

生きている実感

働かないでどこかからお金だけもらってのんびり暮らしたい、みたいなことを聞くけれど、それは果たして楽しいのだろうかと思う。

 

幸せとは、生きている実感、他者との関係性で生まれるものだと思うから、さっきの考え方は「多少自由に動ける囚人」のようなもんじゃないか。

多分だけど、自立してない人がそれをやったら、働いていた時以上の不安に苛まれる可能性が高い。

 

比較対象があるから、現状を憂う。

働いているから、休みが嬉しい。

楽してお金を稼ぎたいのはなんでだろう?辛く苦しい方法でしかお金は稼げないと思っているから?

 

自分が選択したことは苦しくない。好きなことをして稼ぐというのは、なにも楽して稼げているわけじゃない。努力を辛く感じないだけ。

好きなことを上達するための努力は、そのまま楽しみになる。好きなことで稼げている人の裏には膨大な努力があるはず。

 

ただお金があることが幸せであると思っていること自体が、頭がすでに囚人の意識であることを証明している。

 

人生は自由で、自分で選ぶことそのものが生きる意味。

ただ生きているのが、不安になる原因そのものなんだ。

 

 

だから、最初に上げた「働かないで楽に暮らしたい」は生きようとする悲鳴に聞こえる。

方法は違っているけれど。