amanda's diary

私って何なんでしょうの日記

鼻持ちならないって

鼻に付く態度ってどういうことなのかと考えた。

自分で自分を大きく見せようとしたり、自分で自分を「すごいんです」と評価する時。

「すごいねえ」といわされる感じの会話。

 

偉そうなのは百害あって一利なし、という気がする。

自分の根本的な自信のなさを見せているようなものだから。

 

自分で自分を世界の中心に置こうとするんじゃなく、自己の意識の中で中心に置きながら、他者との関係性は自由にしておく。

 

自分の外に他者を認めるだけで、本当に世界は豊かになる。他人の異なる価値観は自分の成長になる。

 

手を動かすこと

手を動かしてものを作る。頭で考えたことがそのまま形に反映される。修正してもう一度作る。

その繰り返しは全ての物事の本質だと思うのだけど、手を動かすのが一番わかりやすい。スポーツも同じ。だからスポーツ選手は若くして本質的なんだと思う。

 

フィードバックの対象が自分というのがわかりやすい理由だと思う。

製作やスポーツ以外だと、対象は人になることが多い。何かをした時の人の反応、周囲の評価。

自分以外のことは、なかなか自分の鏡として認識しづらい。ほんとは同じなのだけど。

 

だから相手の理不尽な行動や、自分が評価されないことも、全てとは言わないけどある程度は自分との関わりの中で生まれた反応なんだと思う。

 

人間はひとりでは生きていけない、それを証明しているように思った。本当にひとりだったら、人間にすらならないんじゃないかなあ。

疲れている

いろんなことが終わらず生活リズムが乱れている。

ということはそもそも無理なことをやっている、または調子が悪い、または疲れている。

 

すごくイライラするし怒りっぽい。時間に余裕がないとこうなる。

 

ということはカリカリしている人は何かで余裕がないのかもしれない。

 

だからって大目にみるとか、そういうことじゃなくて、そうなるには理由があると思うだけでも、他人のことを理解しようとすることに繋がると思うのです。

言わなくなったこと

自分がやろうとしていること。

自分がやり始めたこと。

本気の愚痴。

悩み相談。

 

これらの話しをしなくなった。

昔の自分は愚痴でできてるようなもんだった。悪口と被害妄想と愚痴しかなかった。「やろうと思ってる」てのも得意だった。

 

なんで言わなくなったかというと、「言っても無駄だし意味がないから」なんだけど、そんなことわかりきってます、わかってて言うんですと言われるかもしれない。

 

散々言って、世界は変わらず回り続けるのなら、言わないほうがいい。

というか本当に意味のないことはどうしてもできなくなってきた。

なんか適当な話ししようかな、と思ってもできない。同調しちゃえばいいのに、できない。

 

昔は愚痴をこらえるなんて我慢できなかったけど、今は言う理由がわからなくなった。言えば言うほど、こいつは自分の問題を解決できないんだ、と相手構わず言ってるようなもの。

だから昔を思い出すと本当に恥ずかしい。あんな風に生きていたらうまくいかないに決まってる。当時は「なんで自分ばっかり」「なんで評価されない」と思ってたなんて恐ろしい。当時の自分に「だからだよ!!」と言いたい。

 

そんな「人間以前」だったころを考えると、だいぶマシになったけど、それでもまだ全然足りない。

 

考える必要があるとき

昔はよく、考え事をしているとき本を読んだ。手当たり次第に買って読む。今思うとヒントを探すためだったんだと思う。

 

最近は全く読まなくなった。

代わりにチューニングみたいな感じで読む本がある。

考え方の本質を書いている本。

 

きちんと考えられるようになると、実質的に考えるスピードが上がる。状況がある程度読めるようになる。人より処理する速度があがる。

単純に、優先順位や取捨選択が早くなってるだけなんだろうけど、昔よりだいぶマシだ。でも全然ダメだけど。

 

質のいい本をたくさん読むこと。心理系の本や自己啓発系はロクな本がない(特に日本人)から気をつけた方がいい。病院も同じく。

 

文学も質が良いものは助けになる。汚い文章、悪いテーマは害しかない。

聞くこと見ることの質を上げること。

良い文章は、読むだけで一気に風景が広がる。空気が変わる。引き込まれる。

 

そういえば同じことを著名な落語家の一席を観に行ったときに思ったんだった。なんでも同じだなあ。

 

自分の外と内

成功者と中流階級、そして貧乏人に「成功するために必要なこと」をアンケートした記事を読んだ。

 

成功者ほど、自分自身に起因することを重視していて、貧乏人ほど外に原因を置く結果になっていた。

 

そもそも「成功」が「高所得者や地位のある人」という価値観の上でのアンケートなので、必ずしも成功が幸せに繋がるかは、ここでは置いておいて…

興味深いのは、成功者は「努力」を一番重要視しており、貧乏人は「縁」を重要視しているということ。

自力と他力、正反対。

 

実際は縁も非常に重要だと思うけれど、「縁」以外に続く項目を見ると「狡さ」とか「資金力」とか、まるで今の状況は自分のせいじゃないと言っているような内容だった。

 

外に原因を見ているうちは、何も変わらない。

自分は動かないで他人が動かないことに憤るのはもうやめよう。コントロールできるのは自分だけ。というか自分すら(意識的な)思い通りになんて動かない。

 

自然な流れとか、気持ちとか、やらなければならないことに対してその都度真剣に向き合うことだけをやる。

ダイエットだって日々の小さな努力。

「あのダイエット器具買うだけで痩せる」なんていう魔法を信じているうちは、太ることはあっても痩せることはないんじゃないか。

なんでも一緒だ。

 

最近、外に原因をなすりつけて何もしない人を見るとウンザリするようになってきてしまった。残念ながら交わす言葉をもたないから。

 

またそういう人をターゲットにした商売がとても多いことに気がつかなきゃいけない。占いも、カウンセリングも、ソウルメイトも、マクロビも、整体も、健康法も。

原因が外にあったら向き合わなくて済むから。

病気もかなりそれが大きいんじゃないかと思っている。賛否両論あるだろうけど、例えば風邪にかかることでやらなくて済むことがある。そこが風邪をひいた本当の原因。

 

実際に、私は「やりたくないけど断れない時」に病気になることが多い。耳が聞こえなくなったこともあった。具合が悪くなった時にホッとする気持ちがどこかにある時は「理由があって病気になっている」。決して自分の体が弱いだけじゃない。

 

そんな時は「何をやりたくないから病気になっているのか」ちゃんと考えること。

次に、同じような場面に出くわしたら意思を持って選択すること。やってもやらなくてもいいから。

 

だから体の不具合を常に嘆く人を見る人が見ると、「何か問題を抱えていて自分では解消できない未熟な人」という本質を丸出しにしているような感じに見える。

 

それ自体、悪いことじゃない。でももし、自分がその先に進みたいと思うのなら、変わることを助けてくれそうな人に出会ったときにその縁を離しちゃいけない。

 

その人には一瞬で見破られるから、さっき書いたように話すことがない人として相手にされないかもしれない。それでもこれはという人には食らいつくしか、変わるきっかけは起きにくいんじゃないかと思う。

私の今までを振り返ってみて、心からそう思う。

 

どれだけ悔しい思いをしたか、価値観や自我がボロボロになったかわからない。精神的にも一回死んだ感覚がある。

そもそも自分が「大した人間じゃない」ということも、「結構すごい」ことも、どちらも受け入れ難かった。

 

だけどね、本当に変わりたいと思う人には、きっと助けてくれる人がいるよ。

 

 

本当にかわいい

いいなあと思うもの(プロダクト)に出会った。

同じようなものはあるけど、これは本物だと思った。

 

本物と、そうでないもの。

なにが違うのか。

 

本人が楽しんでいる。; ある程度は必要。

手が込んでいる。; ある程度は必要。

物語が感じられる。; 大いに必要。

センス。; ある程度は必要。

既視感がない。;  目新しさは必要。

その人が見える ; これは必須かも。

細部が整っている。: 商品として成立するために必須。

 

思いつくままに書いてみたけど、その人自身が充実していたらモノもそうなるんじゃないか。

考えが丸ごと見えるんじゃないか。言葉や表情よりも直感的に。

 

魂の形を見ているような気がしました。